秀吉と氏政が眺めた「小田原城」「石垣山城」を“ラッパー”坂間兄弟が追体験!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
■では、石垣山城から見た小田原城は?
—甲冑着付けもそこそこに、一行は急いで石垣山城へ。小田原城から見た石垣山は割と近くに見えましたが、石垣山から見る小田原はどんな感じなのでしょうか。
コーヘイ:これはすごい険しいんだけど、ああやっぱり野面積みか。

荒々しい石垣にくぎ付けの二人。

これから急な斜面を登っていくため、竹で出来た遍路杖を借用。
D:なんか安土城に似てるんだよね。見るからに荒々しい、崩れかけた織豊期(しょくほうき)の石垣にリアリティを感じるね。整備され切ってないものも、またいいものよのう。
コーヘイ:ほんとそう。妙な生々しさがあって、それも結構な広さでしょ。秀吉の執念を感じるよね。それにしても、頂上までの道が結構険しくない?

石垣山城の案内板。

急な斜面を注意深く登る一行。

段差も角度も不均一で、一段一段登る脚への負担も大きい。

そろそろ疲れが出始めるも、さらに登り続ける二人。
D:ってことで、ようやく頂上の本丸。相模湾の眺めは小田原城天守にも優るって素晴らしいな!

ようやく本丸へ到着。小田原市街を一望することができる。
コーヘイ:さて小田原城は……あった! あそこか。
D:あああ~いたあ! なるほどなあ。

石垣山城から見た小田原城の位置(矢印)。かなりの高低差が見て取れる。
コーヘイ:バレないようにお城を造って、完成してから前の木を切って、まるで一夜にして完成させたかのように思わせたと言うけれど……。
D:やっぱり造ってるのはバレると思うよ。とはいえ木を切って北条にお披露目した時は、秀吉はさぞかし圧倒的優位を感じたことだろうね。この時間(取材時は夕方)に訪れると、さらに盛者必衰、栄枯盛衰が感じられて遠い目感を増してくれる。

本丸付近は自然な様子で、当時をしのばせる。

今日イチのスマイルで記念写真も。
―さて、日も暮れてきたことで急いで下山し、本日最後の目的地・小峯御鐘ノ台(こみねおかねのだい)大掘切へ。

石垣山城二の丸跡の案内板。

石垣山城二の丸跡周辺の石垣。

小峯御鐘ノ台大掘切へ到着。
D:えええ、こんな高いのお?
コーヘイ:えっと、西堀、中堀、東堀があって、東堀は小田原城外郭新堀の一部だったもので、中堀と西堀は小田原合戦前の1587年から総構堀として構築された、と。
D:この東堀、実は今回の取材で一番行きたかった場所なのよね。そして実際に来てみたら、やっぱスゲェ! スケール感に圧倒されたわ!

実際に人が進んでいくと分かる堀の深さ。

あまりに急角度ながら、斜面に登ろうと試みる二人。

大掘切のさらに奥へ。

てっぺんを獲ったD氏。
コーヘイ:現在の深さが8~10mだけど、発掘調査で確認された堀底までは12~15mもあった? ひえ~5階建てビルの高さじゃん。
D:さらに堀底は小田原城などの堀でも見つかった障子堀で行く手を妨害。たけし城かよ。
コーヘイ:奥に行くと傾斜とクランクを利用した地形になってるし、これは小田原城の馬出門や銅門と同じ造りだよね。
D:そうそう。横矢掛かりになっているから上から石、矢、鉄砲で狙われる。
コーヘイ:そのうえ糞尿も落ちて来る(笑)
D:重機もなかった時代に自然の地形を利用して、これだけの規模の堀を作って、それがほぼそのまま残ってるなんて! もっと有名になっていい史跡、遺構だよね。
コーヘイ:うん。しかも最低限の整備で、自然な雰囲気なのがリアリティがあって個人的には好き。小田原に歴史散策に行くのなら、小田原城はもちろんだけど、石垣山と大堀切は外せないよね。
—この後一行は、前編で紹介した居酒屋「大こう」で打ち上げ!……をしようとしたのですが、人気店のため空いておらず、別のお店で小田原名物をひたすら食い、べろんべろんに酔っぱらって小田原を後にしたのでした。

打ち上げ後に、小田原駅前にある謎のおしゃれ横丁のティーカップでご一服。コーヘイ氏はトリスではなく、ヤクルトで乾杯!
●今回の「おまけ」

甲冑着付け体験で満面の笑みを見せるD氏。

私服と甲冑に、まるで違和感がないコーヘイ氏。
構成・文:織江賢治
写真:木嶋光雄